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思想史から東アジアを考える
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思想史から東アジアを考える

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商品簡介
作者簡介
目次

商品簡介

本書囊括與西洋近代的相關性及其型態、殖民地、翻譯等議題,
跳脫單一國家限制,從思想史的方法思考「東亞」地域。

本書乃運用思想史的方法來思考「東亞」地域的一本論文集。所謂「東亞」,其範圍包括中國、日本、韓國、琉球、臺灣。至今為止,思想、歷史等領域之研究,設問時大多不自覺地以單一國家為單位,本書則有意識地避免此情形。即使研究單一國家,也必定透過比較的觀點為途徑,藉此向外部擴展。同時亦囊括與西洋近代的相關性及其型態、殖民地、翻譯等議題。以「外部」的觀點發展多樣性的日本研究(「國際日本學」研究),是臺灣大學日本研究中心的發展目標,而本書為其實踐成果之一。

本書は、思想史の方法で、「東アジア」という圏域を考えようとした論文集。「東アジア」とは中国、日本、韓国に琉球や台湾を包含した圏域のことである。これまで思想や歴史などの領域では、無自覚なままに一国を単位に問いを立てる研究が多かったが、本書では自覚的にそれは避けられている。一国を取り上げる場合にも、必ず比較の視点を通したアプローチによって、外に広がる方向を指向している。西洋近代との相関やその形態、植民地や翻訳の主題も取り上げられる。台湾大学日本研究センターは、「外部」の視点から複数形の日本研究(「国際日本学」研究)の展開を目指しているが、本書はそのひとつの実践成果である。

作者簡介

辻本雅史(つじもと まさし)

京都大學大學院教育學研究科(教育史)博士、大阪大學文學博士。曾任教於光華女子大學、甲南女子大學、京都大學,現任臺灣大學日本語文學系教授、京都大學名譽教授。主要著作有《近世教育思想史の研究》(京都:思文閣出版,1990年)、《「学び」の復権―─模倣と習熟》(東京:角川書店,1999年、岩波現代文庫,復刊2012年)、《日本徳川時代的教育思想与媒体》(臺北:臺大出版中心,2005年)、《教育を「江戸」から考える》(東京:NHK出版,2009年)、《思想と教育のメディア史――近世日本の知の伝達》(東京:ぺりかん社,2012年)等。

京都大学大学院教育学研究科(教育史)博士課程単位取得、文学博士(大阪大学)。光華女子大学、甲南女子大学、京都大学教授を経て、現任:台湾大学日本語文学系教授、京都大学名誉教授。主要著作に『近世教育思想史の研究』(京都:思文閣出版、1990年)、『「学び」の復権―─模倣と習熟』(東京:角川書店、1999年、岩波現代文庫・復刊2012年)、『日本徳川時代的教育思想与媒体』(台北:台湾大学出版中心、2005年)、『教育を「江戸」から考える』(東京:NHK出版、2009年)、『思想と教育のメディア史――近世日本の知の伝達』(東京:ぺりかん社、2012年)などがある。


徐 興慶(じょ こうけい)

九州大學文學博士(1992)、關西大學文交涉學博士(2012)。曾任中國文化大學日本語文學系主任暨日本研究所所長、臺灣大學日本語文學系教授兼系主任暨研究所所長、國際日本文化研究中心外國人研究員、京都大學人文科學研究所客座教授、天理大學國際文化學部客座教授、中國東北師範大學客座教授。現為臺灣大學日本語文學系教授兼日本研究中心主任、人文社會高等研究院特約研究員、關西大學亞州文化研究中心海外研究員。研究專門為近世中日交流史、近現代日中思想交流史。主要著作有《近代日中思想交流史の研究》(京都:朋友書店,2004年)、《朱舜水與東亞文化傳播的世界》(臺北:臺大出版中心,2008年)、《東アジアの覚醒―近代日中知識人の自他認識―》(東京:研文出版,2014年)等。

九州大学文学博士(1992)、関西大学文化交渉学博士(2012)。台湾・中国文化大学日本語文系主任・日本研究所所長、台湾大学日本語文系教授兼主任・所長、国際日本文化研究センター外国人研究員、京都大学人文科学研究所客座教授、天理大学国際文化学部客座教授、中国東北師範大学客座教授を経て。現在、台湾大学日本語文学系教授兼日本研究中心主任、人文社会高等研究院特約研究員、関西大学アジア文化研究センター海外研究員。専門は近世中日交流史、近現代日中思想交流史。主要単著に、『近代日中思想交流史の研究』(京都:朋友書店、2004年)、『朱舜水與東亞文化傳播的世界』(台北:台大出版センター、2008年)、『東アジアの覚醒―近代日中知識人の自他認識―』(東京:研文出版、2014年)などがある。

序(摘錄)

辻本雅史

私たちは、台湾の地において「日本研究」を発信している。日本の「外」から、「日本」という地域を対象に研究し、「日本」を問題にしているのである。それは、日本国内で日本を研究する立場とは、おのずからスタンスが異なってくるだろう。それはどのように意味において違ってくるのか、いまそのことを考えてみたい。そのためには、日本国内における日本研究、たとえば日本歴史、日本思想(史)、日本語、日本文学などといった研究と比較してみることで、ある程度その違いが見えてくるに違いない。

大雑把な言い方ながら、日本国内で日本研究を行っている(おもに)日本人研究者にとって、「日本とは何か」という問いを発することは、普通にはまずない。あったとしても希薄であろう。かつて私もそうであったように、彼らにとって日本とは、説明を要しないほどに自明に属することがらである。日本に生まれ育ち、日本語の母語話者として、日本の言語や一定の文化や生活様式などを、無意識のうちに自己の内に身体化しているのが普通だからである。日本にとっての「他者」を意識する必要のない世界に生きてきたといってもよいだろう。

研究には、その研究に取り組むだけの固有の意味や文脈が、当該研究者には自覚されているが、上記の日本研究者にとっての研究の意味や文脈は、ほぼ日本国内から発する課題に求められる。その結果、自覚するかどうかは別として、彼らの日本研究はどうしても内部に閉じられた傾向を脱することは難しい。そこで意識される「他者」とは、おおむね日本という領域内の他者を越えることはほとんどない。日本国内の人ならある程度共有できる、あるいは日本人にしか共有できない種類の研究となる傾向が免れがたい。こうした研究と研究集団が国際化することは容易ではない。確かに研究の精度はあがり、実証のレベルは緻密で精密になっていくだろう。しかしそこでの問題が、国(当該地域)や言語、文化を越えて、広がっていくことは難しい。日本人が会員の大半をしめる日本の学会が、いかに小さな問題を細かく議論しているか、一度その学会の研究発表大会をのぞいてみれば、容易に理解できるであろう。(筆者も含めて)そこでの使用言語は、日本語に限られている。いわば「一国史研究」の状況がここにある。これだけグローバル化が進んだ現状の中でも、日本から発信される日本研究が、国の領域と言語を越えて国際化されることは、依然として希少である。

その背景には、日本国内の研究市場はそれを自足させる状況がある。換言すれば、上記の現状において、日本研究をする日本人研究者は、研究者として生きていけるだけの自足的空間が存在している。そうした研究空間における日本研究とは、結局何を生み出しているのであろうか。いわば無自覚なままの「日本の自己像」とその再生産であるだろう。それはいわば「他者」不在の、国内的な問いに応じた「自己像」にすぎないだろう。

もとよりこれまでの研究史をひもとけば、そうした日本研究に意味がないというのではない。確かに時代の求めに応えて、一定の「自己像」を描いてきた。たとえば「日本思想史学」という学問の成立は、日本が世界の中で欧米に対峙できる応分の位置を占めた第一次世界大戦後のことであり、世界で「日本とは何か」が問われ始めた時にあたっていた。そのほかの学問領域でも、類似の状況があったことは、歴史的に跡付けできるはずである。さらに中心的に取り上げられる研究主題にも、それぞれの時代状況の問いに応えようとする意味があったことも間違いないだろう。もとよりそれを否定するものではないが、いずれにしても、日本が内部的に抱えた問いに対する応答という文脈から脱することはない。

以上のことは、裏を返せば、「外」から日本を対象とする研究には、上記の日本人による日本のための日本研究とは異なる意味と文脈があるということでもある。つまり台湾から日本を見る研究は、台湾に固有の視角があることを自覚し、意識している。それは、台湾が日本といかに関わるのか、それが歴史的であれ現代的であれ、台湾と日本との関係性と深く関わってくる視角である。さらにただ台湾と日本の関係性にとどまらず、東アジア、大きくは地球世界という広がりの中で、台湾の在り方を問う問いが、日本を問うことに相関して、成立するはずである。否、「成立する」というよりも、そうした回路、すなわち台湾を、広がりのある空間の中で考えるために、あえて日本を問うという回路を、自ら「創りだす」ことが必要であると考える。台湾から日本を問うという問いが、実は東アジアの抱える多様な諸問題を考える問いと、内在的に関わってくるからである。各地域が無関係に孤立して存在したことなど、かつてなかった。とりわけ台湾は、地政学的にも常に外との関わりにおいて揺れ動いてきた。その意味で台湾には、世界史の普遍的な問題が凝縮して存在している。そのことを思えば、台湾からの問いであるからこそ成立する、独自の意味ある問いや課題が必ずあると考えられる。それを端的に「台湾的特色を持つ日本研究」と呼ぶとすれば、そうした研究こそ、台湾だけでなく、日本さらには東アジアの研究に積極的な貢献ができるはずである。

もちろん台湾だけが問題ではない。上記のことは、日本を「外」から見るいずれの日本研究にも通底している。とりあえず東アジアの中で考えても、韓国から見る、中国から見る、あるいは琉球から見る、さらには西欧から見る等々、複数のさまざまな日本研究の在り方があること、その「外」から見る視点のそれぞれがもつ複数の文脈と意味が、重なったりずれたりすることが重要である。歴史的関係性からもあるいは現代的観点からも、東アジアの広がりの中で、日本研究を考えることには、確かにこれまでにも一定の蓄積がある。そうした蓄積を我々は共有し、複数形の日本研究を重視したい。こうした「外」から見た日本研究を、ここではさしあたり「国際日本研究」と称しておきたい。

「国際日本研究」は、以上述べてきたように、「日本人による日本研究」とは異なる視角で日本を問う研究を含んでくる。実はそれこそが、日本の日本研究の自閉的なあり方に対して強いインパクトを与える。そのためには、東アジアの日本研究を相互につないでいく国際的ネットワークの緩やかな研究組織が期待されるが、少なくともその前提に、外から発信できる日本研究が求められる。本論文集は、そうした意図を意識しながら編んだものである。

目次

序 辻本雅史

第一章 東アジアの「近世」から中国の「近代」へ―比較史と文化交流史/交渉史の視点による一考察―(伊東貴之)
第二章 東アジアの近代的知形における東西融合の類型再考(李 光来)
第三章 近世東アジアの〈教諭〉思想と日本社会(中村春作)
第四章 東アジアにおける新文化の形成と伝統―日本の近代化を例にして―(銭 国紅)
第五章 帝国日本の越境統治における歴史、思想政策の変遷―台湾、朝鮮、満州国の日本語教育と「同化」「皇民化」を中心として―(徐 興慶)
第六章 丁若鏞と荻生徂徠における「寛容」の技術―朝・日儒者の近代性への視座―(李 基原)
第七章 十九世紀前半日本における「議論政治」の形成とその意味―東アジア政治史の視点から―(朴 薫)
第八章 江戸時代における漢学学問方法の発展―十八世紀を端緒とする書誌学・目録学、そして原典批判の伝統―(竹村英二)
第九章 近世日本思想史における翻訳の役割(アニック・堀内)

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