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村上春樹論:神話と物語の構造
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村上春樹論:神話と物語の構造

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商品簡介
作者簡介
目次
書摘/試閱

商品簡介

結合「互文」、「神話架構」等文本的多重角度
呈現村上小說中「物語」所蘊藏的深層內涵
釐清村上春樹作品發展的脈絡與演變及深受世人喜愛的原因

村上春樹自1979年以《聽風的歌》踏進日本文壇,之後不斷發表作品,至今已有35年的經歷。「靈魂深處」、「物語」是村上小說的基調,在其作品脈絡中常可看出神話及物語的元素。

這樣的寫作風格,評論家們或持肯定態度,認為彷彿「向讀者內心訴說」的美學;也有人不以為意,認為這樣的小說並非純文學。然而筆者認為這樣兩極化的論點,無法完整呈現村上小說中「物語」所蘊藏的深層內涵。故本文以「村上春樹論:神話與故事的結構」為題,藉由結合「互文」、「神話架構」等文本的多重角度,重新剖析村上作品中「物語」的面貌。

本論文分別從村上截至目前為止所發表的14篇中、長篇小說切入,企圖呈現村上小說中「物語」所蘊藏的深層內涵。考察結果得知:圍繞著男主角自我喪失的「女性物語」,以及與「分身」之間關係的「男性物語」,是村上作品中神話、物語的原型。兩條故事主線時而對立、時而交錯形構出村上作品既豐富又複雜的面貌。而在「女性物語」中所謂的「喪失」,更是結合了「伴走者」、「表層的喪失」、「深層的喪失」等三重元素。此外在作品的書寫趨向上,不同於早期的「深層的喪失」,中期以後則偏重於「表層的喪失」。另一方面,在「男性物語」中「弒王」的主題自初期以來貫穿全系列作品,然而作品中「分身」的表象,從早期和主角共同對抗邪惡勢力的角色,中期作品中則轉化為代表暴力邪惡的化身。而在1995年地下鐵沙林事件後作家自身回歸日本後的作品中,此主題更進一步演變為暴力雙義性的表象。

綜合上述,此篇以全日文撰寫的論文集,透過神話與物語結構的觀點,除可賦予村上作品更多的延伸探討空間,更有助於釐清其作品發展的脈絡與演變及深受世人喜愛的原因。提供喜歡村上春樹的學者、研究者們,作為研究村上春樹作品的參考。

作者簡介

作者
内 田 康(うちだ やすし)

筑波大学第二学群比較文化学類卒業
筑波大学大学院博士課程文藝・言語研究科満期退学
筑波大学大学院博士(文学)

経歴
大韓民国・漢陽大学校日語日文学科専任講師、台湾・国立政治大学日本語文学系専任講師、同・慈済大学東方語文学系専任講師、及び助理教授を経て
現在、同・淡江大学日本語文学系助理教授。淡江大学村上春樹研究中心成員

主要著作
『「三種神器」神話の生成と『平家物語』』(筑波大学博士(文学)学位請求論文,2006年)、「『剣巻』をどうとらえるか―その歴史叙述方法への考察を中心に」(千明守編『平家物語の多角的研究 屋代本を拠点として』 ひつじ書房,2011年)、「仮名本『曾我物語』と〈武士王権〉神話―〈源家刀剣伝承〉を中心に―」(『台灣日本語文學報』38号,2015年)等

目次

目錄

序 章 村上春樹作品とテクストの深層
1 はじめに
2 本書の構成および内容

第一章 「直子」から、「直子」へ
―村上春樹初期作品における〈喪失〉の構造化―
1 「直子」をめぐる「黙説法」
2 村上春樹初期作品における二人の「直子」
3 初期三部作と「直子」―『1973年のピンボール』を軸に
4 壁の隠蔽╱壁による隠蔽―「街と、その不確かな壁」の位置
5 「直子」から、「直子」へ ―まとめにかえて

第二章 回避される「通過儀礼」―『羊をめぐる冒険』論―
1 村上春樹『羊をめぐる冒険』と「通過儀礼」
2 「金の羊毛伝説」という「通過儀礼」と、「僕」の物語
3 「英雄」としての「鼠」―〈王殺し=父殺し〉の物語
4 回避される「通過儀礼」―『地獄の黙示録』との関わりから

第三章 〈他者〉〈分身〉〈メディウム〉
―村上春樹、80年代から90年代へ―
1 登場人物たちの類型性から見る
村上春樹文学の構造的特質について
2 村上作品におけるキャラクター類型とその分類
―「資格」と「役割」―
3 〈他者〉〈分身〉〈メディウム〉
―あるいは、村上春樹作品における「妻」の経歴―
4 「妻」という〈他者〉
―『国境の南、太陽の西』から『ねじまき鳥クロニクル』へ―
5 〈伴走者〉という「資格」╱〈メディウム〉という「役割」
6 変貌する〈分身〉たち
―〈他者〉および〈メディウム〉をめぐる物語との拮抗―

第四章 〈暴力〉の両義性 ―『海辺のカフカ』を中心に―
1 村上春樹文学における「〈父殺し〉三部作」をめぐって
2 「〈父殺し〉三部作」と、回避される「王位継承」
3 「パルマコン(pharmakon)」としての「力の源泉」
4 デリダ「プラトンのパルマケイアー」を通して読む
『海辺のカフカ』
5 『海辺のカフカ』における〈父殺し=王殺し〉の意味
6 まとめと今後の課題

第五章 神話と歴史を紡ぐ者たち ―『1Q84』をめぐって ―
1 村上春樹と日本古典
2 「ふかえり」と稗田阿礼、そして〈妹の力〉
3 起源神話としての『空気さなぎ』
4 神話の呪縛をすり抜けて

第六章 「調和のとれた完璧な共同体」に潜む闇
―『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』論―
1 村上春樹とユング派心理学
2 意識と無意識の重層的描写―『ノルウェイの森』との対比から
3 多崎つくるを╱が〈巡る〉人々―「共同体」との関わりから
4 元型の投影としての「シロ」・「クロ」・灰田
― つくるの無意識を探る
5 「完璧な共同体」に潜む闇
6 成熟への「通過儀礼」としての「個性化」

終 章 村上春樹文学における神話と物語の構造
1 村上春樹作品と神話・物語的類型
2 過去・現在・未来 ―〈喪失〉の三層構造
3 〈王殺し〉と〈父殺し〉
4 〈女をめぐる物語〉VS〈男をめぐる物語〉
5 おわりに

参考文献
初出一覧

 

書摘/試閱

內容試閱

1.はじめに
村上春樹は、群像新人文学賞を受賞した処女作『風の歌を聴け』で1979年にデビューして以来、小説家として既に35年を越える経歴を積み重ねてきた。この間、彼が日本国内における人気作家からベストセラー作家へと飛翔し、更に、海外でも幅広い読者を持つに至った経緯は、ことあらためて言うまでもあるまい。そこで敢えて、論者自身の村上作品への一読者としての関わりについて振り返ってみると、彼の小説を読み始めたのはまだ十代の頃、ようやくぼんやりと自分の進路を日本文学と結びつけるかたちで考え始めた時分で、それから現在までに、もう30年以上の月日が流れたことに、我ながら驚きを禁じ得ない。考えてみれば、研究対象としては一応中世を中心としながら、卒業論文、修士論文、博士論文と、その度ごとにテーマを変えていった折にも、或いは、勤務地として韓国や台湾に赴いた際にも、村上春樹の著作は、いつも身近なものとして、そこにあった。この作家について「研究する」ことなど想像もつかなかったにもかかわらず、ふと気づけば作品を手に取り続けてきたのは、論者が文学と向き合うに当たっての「物語」に対する拘りが、やはり小説家としての彼の「物語」への拘りと、ある種の共振を起こしていたからではないか、と今にして思い至る。
1987年3月18日の夜明け前、後に超ベストセラーとなる『ノルウェイの森』の第一稿をローマで書き上げて十日ほど経っていた村上は、奇妙で血腥い夢から目を醒ました。五百個ほどもある切り取られた牛の首とその胴体が整然と並ぶ大きな建物。床を走る血の流れ。窓の外を飛び交う鷗の群れ…。その夢を記した文章の中で、彼は次のように述べている。

僕は小説を書くことによって、少しずつ生の深みへと降りていく。小さな梯子を
つたって、僕は一歩、また一歩と下降していく。でもそのようにして生の中心に
近づけば近づくほど、僕ははっきりと感じることになる。そのほんのわずか先の
暗闇の中で、死もまた同時に激しいたかまりを見せていることを。
(村上春樹「午前三時五十分の小さな死」、下線引用者、以下同じ)

また彼は2013年5月6日、京都大学名誉教授・河合隼雄(1928-2007)の七回忌を機に創設された「河合隼雄物語賞・学芸賞」を記念するための講演と公開インタビューを行った際にも、「物語というのはつまり人の魂の奥底」、「魂のいちばん深いところにあ」って、「僕は小説を書くために、日常的にその深い場所に降りていきます」との発言を残している。「生の深み」とか「魂の奥底」とか、表現は異なっているものの、村上にとって小説を書くという行為は、長きに亙って、そのような場所に「降りていく」ことによってのみ、なしえたのだということがわかる。そしてそこにこそ彼の所謂「物語」は存在しているのだということも。かかる状況は、村上文学の英訳者として、また研究者として知られるジェイ・ルービン(Jay Rubin)が、「無意識」という語を用いて次のように説く内容とも一致している。

無意識の奥底は私たちの心的時間を超越した、別世界である。そこは自己の核
となるものであり、自分は誰かという、一人ひとりの物語のありかだ。それは、
イメージを通してはじめて知ることのできる断片化された物語である。【中略】
内にある物語を引き出そうとして小説家が語る物語が、何らかの非合理的な
プロセスを経て、読者一人ひとりの内なる物語に反響する。
(ルービン『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』P.11‐12)

このように、村上が精神の奥底に下降して探り当てる「物語」のあり方について考えることは、彼の作品が日本のみならず他の多くの国でも好評を博している理由を考える際にも、極めて有効ではないかと考えられるのである。更にこうした「物語」への注目と関連して、ルービンの弟子であり、「現在アメリカ合衆国と世界で最も活躍している村上研究者の一人」とも評されるマシュー・ストレッカー(Matthew Carl Strecher)は、特に村上の小説における神話的な枠組に注目し、例えば「地下世界を旅して死者のもとを訪れ、喪われたものを取り戻そうとするオルフェウス的な探索は、村上の創作全体を貫いている」と述べ、その例として「「僕」による『1973年のピンボール』における「直子」、『羊をめぐる冒険』における「鼠」、『ダンス・ダンス・ダンス』における「キキ」の探索」、「『ノルウェイの森』の「ワタナベ・トオル」による「直子」を死の崖から連れ戻そうという試み、『ねじまき鳥クロニクル』の「岡田亨」による「クミコ」の救出、『スプートニクの恋人』の「K」による「すみれ」の捜索、『アフターダーク』で姉の「エリ」を再び目覚めさせようとする「マリ」、そして『1Q84』での「天吾」による「安達クミ」とのやりとり」を挙げて、それらが、(『スプートニクの恋人』や『アフターダーク』のように地下の死の世界自体を含まない場合もあるものの、)「古来の神話的探索の類と著しい類似を示す」ことを指摘している。
尤も、村上の小説から神話・物語的類型が抽出可能であるという事実は、一方でこれまで批判の対象ともなってきた。例えば『小説から遠く離れて』の蓮實重彥は、『羊をめぐる冒険』(1982)を村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』(1980)、井上ひさし『吉里吉里人』(1981)、丸谷才一『?声で歌へ君が代』(1982)等と並列しつつ、そこに共通の「宝探し」という話型を見出し、「物語的な類型が作品の説話論的な構造に根拠を提供している」「退屈な作品」であると切り捨てたし、その蓮實や柄谷行人の見解を受けた大塚英志は、村上が、ユング派心理学の影響下にある神話学者ジョーゼフ・キャンベルの単一神話論に依拠して創作を行っていることを確信している。

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